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第1回SNOWセミナー報告「1970年代・80年代の再審法改正運動」

 2013年7月13日(土)午後2時から4時、谷村正太郎弁護士を講師にお招きし、第1回SNOWセミナー「1970年代・80年代の再審法改正運動」を開催しました。谷村弁護士は、死刑4事件が相次いで再審無罪になった前後の時期、日弁連再審法改正実行委員会副委員長として、中心的に活動されました。
6月8日の「市民評議会」設立総会から約1ヶ月。桜井司法研究所に集まった参加者20名は、これから私たちが目指す冤罪をなくすための取り組みへの第一歩として、谷村弁護士の講演に熱心に聞き入りました。講演の内容(当時の再審をめぐる状況がどういうものだったか、なぜ法改正が必要とされたのか、日弁連の考えていた改正案の内容はどういうものだったのか、その改正案のためにどういう運動を展開したのか、そして現時点での課題)について、以下、要約して報告します。日弁連改正案の具体的内容など、詳細については、『講演録』をお読みください。
(文責:客野)

[I]1970年代の再審の状況と日弁連の取り組み

1959(昭和34)年、日弁連は、徳島事件と吉田石松事件という二つの再審事件から要請を受け、初めて再審事件に取り組むことになった。まもなく、免田事件、徳本事件、梅田事件の再審にも取り組むようになるが、これ以外にも、松山事件、丸正事件、帝銀事件、加藤事件、白鳥事件など多くの事件が非常に困難な闘いを強いられていた。
当時の判例や実務は、「孤立評価説」、「心証引継説」、「職権主義」が主流を占めており、「再審は、駱駝が針の穴を通るより困難」と言われていた。この絶望的な状況を打破するため、1972(昭和47)年、日弁連は「再審問題研究会」を立ち上げ、弁護士だけでなく、法学者や市民も一丸となって、全国的な運動を展開した。
その成果として、1975(昭和50)年、再審の歴史上、画期的な白鳥決定が出ることになった。白鳥決定(①合理的疑いの鉄則を再審にも適用。②新証拠と旧証拠の総合評価。③旧証拠の再評価)は、それまでの孤立評価説と心証引継説を一挙に打ち砕いた。
翌1976(昭和51)年には、弘前事件(7月)、加藤事件(9月)、米谷事件(10月)という3事件の開始決定。そして最高裁の財田川決定(10月)へと続く。
しかし、同じ時期、免田事件、島田事件、江津事件、名張事件、狭山事件、牟礼事件、帝銀事件は、次々と請求を棄却されていった。依然として続く困難な状況を打破すべく、日弁連は、再審法改正案を作って運動を展開することを決定した。2年をかけて作った改正案の目的は、「再審の要件として白鳥決定を法律として定着させること」、「再審の手続きを改善すること」。同時に、この改正案を「旗印」として掲げることにより、各再審事件の闘いと運動全体の発展に寄与したいということだった。

[II]再審法改正案

再審法という名前の法律はない。改正案が対象としているのは、刑事訴訟法(刑訴法)の再審についての規定のことである。新憲法が1947(昭和22)年に施行されたとき、新憲法の精神に従って刑訴法も書き直された。旧刑訴法の職権主義は、新刑訴法で当事者主義に変わった。ところが、再審の規定は、「不利益再審」を廃止した以外、訂正されなかった。大正11年に出来た法律が、今日現在もまだ、条文としては、そのまま残っている。
日弁連が作った改正案には、「昭和52年改正案」、「昭和60年改正案」、「平成3年改正案」の3つがある。大筋は変わらない。最後の「平成3年改正案」は、以下12項目を内容とする。(1)は要件。現行法の「明らかな証拠」を「事実の誤認があると疑うに足りる証拠」に改正し、白鳥決定を法文化しようとするもの。(2)から(12)は手続き。通常審の規定を再審にも適用しようとするもの。

  1. 再審の理由(435条6号)
    「有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき事実の誤認があると疑うに足りる証拠をあらたに発見したとき」
  2. 裁判所職員の除斥および忌避(438条の2)
  3. 国選弁護人(440条2項、3項)
  4. 弁護人の接見交通等(440条4項)
  5. 事実の取調―請求人、弁護人、検察官の意見陳述(445条1項、6項)
  6. 事実の取調―事実の取調の請求(445条2項、4項)
  7. 事実の取調―事実の取調の立会・証人尋問(445条3項)
  8. 事実の取調―公開の法廷(445条7項)
  9. 不服申立期間(450条2項、5項)
  10. 再審開始決定に対する検察官の不服申立の禁止(450条1項、5項)
  11. 決定告知期日の通知(刑事訴訟規則286条の2)
  12. 再審請求の費用補償(188条の7、8)

[III]再審法改正のための運動

1977(昭和52)年、弘前・加藤・米谷の3事件で無罪が確定。そして、1979(昭和54)年、免田・財田川・松山の3事件で再審開始が決定した。死刑再審3事件が、同じ年に相次いで開始決定になったことで、日本中が騒然となった。さらに、1980(昭和55)年から1990(平成2)年にかけて、徳島・梅田・島田3事件も再審開始決定になった。
1979(昭和54)年、社会党が第一次改正案を国会に提出。1984(昭和59)年には、第2次社会党改正案の審議が行われた。1977(昭和52)年から1985(昭和60)年の間に、衆参両院の法務委員会などで13回の質疑がなされているが、これを読むと、死刑3事件の再審開始が出た頃から、法務省の態度が硬化してきたことがわかる。検察も、弘前・加藤・米谷では争わなかったのに、死刑3事件の開始決定に対しては、徹底抗戦という態度に出てきた。危機感を抱いた法務省と検察庁の内部で、何らかの意思統一がなされたと思う。
結局、日弁連改正案のうち、法律として実現したのは、「刑事記録保存法」(1988年1月)だけだった。しかし、再審法改正案は、一定の役割を果たした。全国的な運動を展開したことにより、裁判所の対応が変わった。現在のように、あるていどまで、ふつうの裁判の形に近づいて運用されるようになった。とはいえ、まだ多くの課題が残されている。

[IV]現時点での課題

今なお、裁判所内には、白鳥決定に反発し「限定的な再評価説」を主張する勢力が存在している。顕著な例が、諸橋事件(2001年、弁護側の即時抗告を棄却)と大崎事件(2004年、開始決定を取り消し)。ふたつの決定は、「全部を再評価したら、確定判決の安定を損ない、三審制を事実上覆すことになる」などと言っている。
証拠開示は、当時の日弁連改正案には含まれていない。再審だけでなく通常裁判においても大問題。当時は法文化が難しかった。まさに次の課題である。裁判員裁判は、市民が身近な問題として意見を述べやすいという意味で、ひとつの区切りになると思う。みなさんが刑事訴訟法の全体を取り上げることはない。市民感覚から、ここがおかしいと感じるところに絞って声をあげていけばよいと思う。ただし、高い理想に走るのではなく、どこまで多くの人が賛同できるか、その最大公約数をとって法改正を訴え運動を進めていくことが大切だと思う。

感想:

「70-80年代の再審法改正が、そこまで大きな運動を展開しても、実現にいたらなかったのは、なぜか?」参加者の一人から質問がありました。私たちの多くが同じ疑問を感じています。谷村先生は「国家権力とはそれほど強いものだしか言いようがない」と即答なさいました。このことは肝に銘じなければならないと思いますが、「刑訴法の再審の規定は、大正11年の条文のまま」などという、旧態依然たる実態が、これからも放置されていてよいのでしょうか。これを変えていくため私たちに何ができるのか、まだわかりません。しかし、先を急ぐことなく、今日のセミナーで学んだことを「始めの一歩」として、「次の一歩」へと着実につなげていきたいと思っています。


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